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立石鐵臣 展 図 録
立石鐡臣は台湾で生まれ、日本と台湾で活躍した作家です。
日本では国画会を舞台に活躍し梅原龍三郎から将来を大いに嘱望された画家でした。その後、梅原龍三郎の勧めで台湾に渡り台湾美術の発展に多大な功績を残し 台湾で絶大な人気を誇りました。しかし日本ではその実績を正しく評価される機会がありませんでした。
この図録は、日本近代美術史に埋もれてしまっている立石鐵臣を再評価するために開催された回顧展の際に作成されたもので見応え満載の一冊です。
立石鐵臣 展 図 録
サイズ :  29.7×21.0cm
総ページ数 :  65ページ
図 版 :  油彩作品 51点
 参考図版 40点
 カット 4点
 写真 10点
発行日 :  2015年5月
価 格 :  
■ 立石鐵臣 展
立石鐵臣 展 図 録
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立石鐵臣 展 図 録 立石鐵臣 展 図 録
立石鐵臣 展 図 録 立石鐵臣 展 図 録
立石鐵臣 展 図 録 立石鐵臣 展 図 録
立石鐵臣 展 図 録 立石鐵臣 展 図 録
立石鐵臣 展 図 録 立石鐵臣 展 図 録
1905年 (明治38年) 0歳 台湾総督府財務局事務官を務め、後に台湾瓦斯の専務となった立石義雄の五男として、台北で生まれる。
1911年 (明治44年) 6歳 父の内地転勤に伴い帰国。
1919年 (大正8年) 14歳 鎌倉に転居。
1921年 (大正10年) 16歳 日本画家を志し川端画学校に入門。
1926年 (大正15年) 21歳 洋画に転向。当時鎌倉の長谷に住んでいた岸田劉生に師事。
1932年 (昭和7年) 27歳 国画会に出品した全作品6点が2年連続で「国画奨学賞」に選ばれる。
台湾時代
1933年 (昭和8年) 28歳 国画会会友となる。梅原龍三郎の勧めで同年1月から3月にかけて渡台。その後43歳まで3度渡台し、都合11年滞在した。
1934年 (昭和9年) 29歳 7月 渡台(1936年3月まで)。
台湾人画家7名(楊三郎、陳澄波、陳清汾、李梅樹、李石樵、廖繼春、顔水龍)と「台湾美術協会」の創立に参画。
1935年 (昭和10年) 30歳 第9回台展で「赤光」が特選推薦台展賞を受賞。
1936年 (昭和11年) 31歳 9月に新宿の天城画廊主催の「第1回各派選抜新人連続個人展覧会」に梅原龍三郎の推薦で国画会代表として出品。この時の他派の代表は、春陽会は原精一。独立は森芳雄、二科は長谷川利行であった。
1939年 (昭和14年) 34歳 台北帝大教授の素木得一の招きにより、理農学部嘱託して渡台し、標本画に従事した。これを機会に細密画描法を自得。
1941年 (昭和16年) 36歳 「民族台湾」の編集に参加し「台湾民俗図絵」の版画制作に取り組む(昭和20年1月の廃刊まで43号刊行された)。その後新聞や雑誌等の多くの出版物において装画、挿絵を担当。
「台湾民俗図絵」は今日の台湾近代美術史にその名を留め、民俗研究者、学者、作家、一般知識人など、多くの台湾人から支持を得ている。(森美根子著「台湾を描いた画家たち」より引用)
1945年 (昭和20年) 40歳 終戦。戦後、中華民国政府に留用され、台大医学院、台大文学院において資料図の作成に従事。
1948年 (昭和23年) 43歳 12月5日最終引揚船で帰国。
※台湾時代の作品の多くが、帰国時の荷物制限より現地に残したため、現在その多くの所在が不明である。
戦後-1950年代 ※戦後は戦前の写実的風景画から抽象的な幻想作品へと一変する。
1950年 (昭和25年) 45歳 第24回国画会展に「孤独」・「白牛」を出品。
第1回型生派展(日本橋 三越)に「けしの花の幻想」・「虚空(孤独)」・「流木」を出品。
1951年 (昭和26年) 46歳 第25回国画会展に「偽装驢馬」を出品
1953年 (昭和28年) 48歳 東京近代美術館主催「抽象と幻想展」に「虚空」を出品。
1954年 (昭和29年) 49歳 第28回国画会展に「流転」を出品
1958年 (昭和33年) 53歳 第32回国画会展に「傾斜都市」を出品
1959年 (昭和34年) 54歳 第33回国画会展に「うに」・「くらげ」を出品。
1960年代
1960年 (昭和35年) 55歳 東京近代美術館主催「超現実絵画の展開展」に「けしの花の幻想」を出品。
1962年 (昭和37年) 57歳 画文集「台湾画冊」完成。
この画冊は、「民族台湾」刊行時に制作した「台湾民俗図絵」をもとにして描かれ、前編「FORMOSA」と後編「山地篇・兵士篇・日僑篇」の二部構成になっており、台湾の風俗や台湾人の日常生活のほかに、画家自身の出征や留用にまつわる話、そして引き揚げ時の様子などが、ユーモアとペーソースを交えて淡々と綴られており、全編をとおして鐵臣の望郷の詩となっている。(森美根子著「台湾を描いた画家たち」より引用)
1963年 (昭和38年) 58歳 鎌倉近代美術館主催「昭和初期洋画展」に「日輪」を出品。
1969年 (昭和44年) 64歳 東京の美学校の細密画工房の講師になり、昆虫などを描く図鑑等の標本画の制作をする。
1970年代
1970年 (昭和45年) 65歳 第44回国画会展に「追憶の碑」を出品。
1971年 (昭和46年) 66歳 第45回国画会展に「飛鳥(李朝狼火台)」を出品。
1972年 (昭和47年) 67歳 第46回国画会展に「月に献ず」を出品。
1973年 (昭和48年) 68歳 第47回国画会展に「春」を出品。
1974年 (昭和49年) 69歳 第48回国画会展に「旅-網走」を出品。
1975年 (昭和50年) 70歳 第49回国画会展に「円舞」を出品。
1976年 (昭和51年) 71歳 第50回国画会展に「水紋」を出品。
1977年 (昭和52年) 72歳 第51回国画会展に「身辺 秋から冬へ」を出品。
1978年 (昭和53年) 73歳 第52回国画会展に「散椿」を出品。
1979年 (昭和54年) 74歳 第53回国画会展に「夕月」を出品。
1928年(昭和3年)の国画会第3回展初入選以来、この年の第53回展まで連続出品。
1980年 (昭和55年) 75歳 4月9日肺癌のため逝去。
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