| <略歴> |
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1894(明治27)年 |
1月17日 静岡県榛原郡に生まれる。 |
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1914(大正3)年 |
早稲田大学予科を中退。 |
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1918(大正7)年 |
オレゴン州在住の実兄を頼って渡米。 |
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1924(大正13)年 |
ニューヨークのアート・ステューデンツ・リーグに20 年まで通う。 このころから児童教育に興味を持ち始める。国吉康雄と知り合う。 |
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1921(大正10)年 |
アメリカ南部からキューバを経て、メキシコに着く。サンテーロ(聖画行商人) となってメキシコの村々を転々とした。 |
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1924(大正13)年 |
国立美術学校(サン・カルロス)に入学。特待生となり3 カ月で卒業する。 チュルブスコ村の旧僧院で研修する画学生の一員となる。この頃、リベラ、オロスコ、シケイロスらと交流、彼らの推進する野外美術学校に関わる。 |
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1925(大正14)年 |
トラルパン野外美術学校に奉職し、児童美術教育に参画。 |
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1929(昭和4)年 |
二宮鉄野と結婚。 |
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1930(昭和5)年 |
ニューヨークのハケット・ギャラリーで個展開催。 |
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1932(昭和7)年 |
タスコに移した野外美術学校の校長に就任。 |
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1933(昭和8)年 |
メキシコ旅行中の藤田嗣治の訪問を受ける。 |
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1935(昭和10)年 |
国吉康雄とイサム・ノグチの訪問を受ける。 |
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1936(昭和11)年 |
メキシコ美術画廊で個展を開催。メキシコでの活動を終え、日本へ帰国。 静岡にしばらく滞在した後、愛知県瀬戸市にある妻の実家で寓居した。 |
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1937(昭和12)年 |
東京に移住。藤田嗣治の紹介で二科会第24回展に出品し、会員に推挙された。 |
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1943(昭和18)年 |
愛知県瀬戸市に疎開、その後定住した。 |
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1944(昭和19)年 |
瀬戸高等女学校の教師になる。農業に関する科目を担当。 |
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1949(昭和24)年 |
夏休み期間に合わせ、東山動物園内に「名古屋動物園児童美術学校」を開設。 |
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1951(昭和26)年 |
名古屋市に「北川児童美術学園」が開設。 |
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1952(昭和27)年 |
「創造美育協会」の創立に発起人として参加。 |
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1955(昭和30)年 |
メキシコを再訪、11 カ月滞在した。その後ニューヨーク、フランス、スペイン、 イタリアを巡遊する。帰国後は日本各地で展覧会に参加した。 |
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1964(昭和39)年 |
第6 回現代日本美術展(東京都美術館)にて優秀賞受賞。 |
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1978(昭和53)年 |
二科会会長の東郷青児の死去後、二科会会長に就任。同年9 月には会長を辞 任し二科会を脱退した。絵筆をおくことを表明、制作活動をやめる。 |
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1986(昭和61)年 |
メキシコ政府から同国との友好関係に貢献した外国人に贈られる
「アギラ・アステカ勲章」を受章する。 |
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1989(平成元)年 |
4月26日 愛知県瀬戸市の陶生病院で逝去(享年95 歳)。 |