泰明画廊
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北川民治展 見直そう、日本の実力作家 !


北 川 民 治  展
TAMIJI KITAGAWA Exhibition



zoom 「 琉球のなげき 」1964年 65.2×80.3cm
「見直そう、日本の実力作家」と称した展覧会シリーズの第2弾。
日本洋画壇を代表する画家として活躍した北川民次(1894-1989)の画業を見つめ直す展覧会を開催いたします。
メキシコでの15年間の滞在を通じて独自の画風を確立した北川民次は、日本の近代美術史において特異な位置を占める洋画家です。鮮やかな色彩と大胆な構図、明瞭な輪郭線と単純化された形態により、社会や人々の営みを力強く描きました。その作品には民衆の生活への共感と深い思想が込められています。
2025年11月17日(月) ~ 27日(木)
[営業時間] 月-金曜日 10:30-18:30 | 土曜日 11:00-17:00 *日曜日・祝日休廊
[会場] 泰明画廊    東京都中央区銀座7-3-5 ヒューリック銀座7丁目ビル1階  Google maps
 北川民治 (きたがわ たみじ) 1894(明治27)年 - 1989(平成元)年
 <略歴>
1894(明治27)年 1月17日 静岡県榛原郡に生まれる。
1914(大正3)年 早稲田大学予科を中退。
1918(大正7)年 オレゴン州在住の実兄を頼って渡米。
1924(大正13)年 ニューヨークのアート・ステューデンツ・リーグに20 年まで通う。
このころから児童教育に興味を持ち始める。国吉康雄と知り合う。
1921(大正10)年 アメリカ南部からキューバを経て、メキシコに着く。サンテーロ(聖画行商人)
となってメキシコの村々を転々とした。
1924(大正13)年 国立美術学校(サン・カルロス)に入学。特待生となり3 カ月で卒業する。
チュルブスコ村の旧僧院で研修する画学生の一員となる。この頃、リベラ、オロスコ、シケイロスらと交流、彼らの推進する野外美術学校に関わる。
1925(大正14)年 トラルパン野外美術学校に奉職し、児童美術教育に参画。
1929(昭和4)年 二宮鉄野と結婚。
1930(昭和5)年 ニューヨークのハケット・ギャラリーで個展開催。
1932(昭和7)年 タスコに移した野外美術学校の校長に就任。
1933(昭和8)年 メキシコ旅行中の藤田嗣治の訪問を受ける。
1935(昭和10)年 国吉康雄とイサム・ノグチの訪問を受ける。
1936(昭和11)年 メキシコ美術画廊で個展を開催。メキシコでの活動を終え、日本へ帰国。
静岡にしばらく滞在した後、愛知県瀬戸市にある妻の実家で寓居した。
1937(昭和12)年 東京に移住。藤田嗣治の紹介で二科会第24回展に出品し、会員に推挙された。
1943(昭和18)年 愛知県瀬戸市に疎開、その後定住した。
1944(昭和19)年 瀬戸高等女学校の教師になる。農業に関する科目を担当。
1949(昭和24)年 夏休み期間に合わせ、東山動物園内に「名古屋動物園児童美術学校」を開設。
1951(昭和26)年 名古屋市に「北川児童美術学園」が開設。
1952(昭和27)年 「創造美育協会」の創立に発起人として参加。
1955(昭和30)年 メキシコを再訪、11 カ月滞在した。その後ニューヨーク、フランス、スペイン、
イタリアを巡遊する。帰国後は日本各地で展覧会に参加した。
1964(昭和39)年 第6 回現代日本美術展(東京都美術館)にて優秀賞受賞。
1978(昭和53)年 二科会会長の東郷青児の死去後、二科会会長に就任。同年9 月には会長を辞
任し二科会を脱退した。絵筆をおくことを表明、制作活動をやめる。
1986(昭和61)年 メキシコ政府から同国との友好関係に貢献した外国人に贈られる
「アギラ・アステカ勲章」を受章する。
1989(平成元)年 4月26日 愛知県瀬戸市の陶生病院で逝去(享年95 歳)。
©  2000 -   TAIMEI GALLERY

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