泰明画廊
BACK Top Page展覧会情報過去の展覧会情報2008年福岡通男展
―追想・トスカーナ―  福 岡 通 男 展  Michio FUKUOKA
果てしない旅―箔の輝き

西武池袋線沿線の研究所とは名ばかりの美術予備校で、40年近くも前に私は福岡通男と出会った。
目の前に受験と書かれた札がぶら下がってはいたが、あのころは時間などというものはいつまでもたっぷりとあるように思っていた。30歳を過ぎるあたりからお互いに少し忙しくなり、しばらく会うことのない時期があって、そのうち私は地方の美術館に勤めはじめ、いつの間にか福岡通男は画家になっていた。

福岡通男の作品を見ていると、自然に昔のことが思いだされる。福岡の作品には、見るものを思い出の中に誘いこむ力があるようだ。箔の照り返しが、心の奥にまで届くのだろうか。
福岡の作品には常に愛すべきプリミティヴィスムが漂っている。中でも箔という個性的な素材は、この画家の技法と相俟って長くその作品を特徴づけてきた。また、1990年あたりから作り続けられてきた立体的な作品などは、現代という時代にあって、絵画そのものへの素朴な提言を発しているかのようだ。
かつて額は絵を保護するためのものではなく、絵を飾り、絵と一体化して世界を表わす役割を担っていた。福岡の作品から突き出した木や星や雲そして小さな家なども、おそらくこうした感覚から発生している。箔に包まれたほほえましい立体物が、絵と同化してみごとに一つの空間を作り上げているさまは、私たちが長く忘れていた造形の姿でもあるのだ。
ところで、ここ数年の作品に見られる箔は随分ときらびやかになってきた。以前のいぶしたような輝きとは異質なものといっていいだろう。植物を模した美しい装飾のわずかな線刻のかけらにまで光が差しこみ、その輝きは荘厳ですらある。金とプラチナの二種類の箔の併用は穏やかな調和をみせ、それらは箔ではなく美しい色彩となって画面に溶けこんでいる。
箔の豪奢な輝きは時に周囲の色彩を阻害するが、福岡の場合、そのバランスは鮮やかに保たれている。精神の高揚のなせるわざとでもいおうか、あらためて画家の技量の確かさに思い至る。

確か福岡がテンペラに興味をもち、いわゆる《黄金背景テンペラ画》に手を染めたのは1970年代半ばあたりのことではなかっただろうか。まだ、東京芸大の学部生であったころのように記憶している。
当時、既に一部においてヨーロッパの古典絵画技法なるものが紹介されはじめていた。また、そうした技法で制作した作品を発表する若い帰朝者も何人かいたように思う。明治のはじめあたりに移入された油彩画が、100年も経とうとするころになって、ようやくその出自を明らかにしはじめたということになるだろうか。身のまわりに詳しい資料もなく、興味をもつものはそれぞれの努力でその不足をまかなうしかなかった。テンペラやフレスコといっても、そのイメージを具体的に結べるものは美術大学の学生にすら多くはなかった時代である。
ただ東京芸大には当時、イタリアの古典技法の研究者でその啓蒙者でもあった田口安男が助教授として教鞭を執っていて、その教室ではテンペラや黄金背景テンペラを学ぶことができた。
福岡は田口教室に籍を置くものではなかったが、その周辺からそれとなく必要な知識を引っ張り出していた。そして独習を続ける中で、自分自身に直結する何かがこの技法にあることを確信したようだ。結果的に福岡の興味はイタリアへ向い、幾度かの小さな旅と試行錯誤を重ねていった。暗中模索であったと思う。
1997年、50歳を前にして約3年の間、福岡はフィレンツェを拠点にイタリアに暮らした。それは制作よりも自己確認のための滞在であった。イタリアの古典技法を学びはじめてから既に20年を超える月日が経っていた。自身のスタイルも確立した上であらためて向きあったイタリアは、福岡には、やはり多くのものを与えてくれたらしい。しかし、この滞在は傍目でみるほど易しいものではなかったはずである。独りで歩んできた道に、不安や焦りがなかったとは思われない。それまでとそれからを画家として生きるために、大きな決断をしたのだろう。私も福岡の周辺で暮らした時代に、彼が旅の入口で煩悶している姿をそれとなく目にしてきた一人である。この3年の時の重さを想像するに難くない。
トスカーナという場所は、ことさら福岡通男という画家と相性がいいようだ。福岡が、以前からのこの地を愛して止まないことは知っていたが、長期にわたる滞在がこの二者をより強く結びつけたようだ。今や作品のイメージのほとんどが、イタリア中部に点在する小さな村々やそこに暮らす人々の姿から発生している。結果的に、このイタリア滞在によって福岡の作品が大きく変わることはなかった。
福岡の作品はいつも平穏で美しい。それは随分以前から変わらない。耳を澄ませば、どこか遠くからささやくような楽器の音が響いてくる。そして、登場人物たちの無言劇は今も続いている。みんなあどけない表情をしてさまざまなことをしているが、彼らは一体どこからきたのだろう。福岡の作品は詩のようでもあり、画家自身のつぶやきのようにも思われてくる。

いうまでもなく福岡通男という画家は日本人であり、その目で世界を見つめている。だから私たちは彼の作品に身近な郷愁を感じ、そこに漂う静寂にも同調できる。しかし彼が手にしているのは、遠くイタリアの長い歴史をもった技法である。過去に数え切れないほどの画工が、この技法でイコンや祭壇画を描いてきたはずだ。
技法とは個の集積かもしれない。下手をすれば、その奥に堆積した膨大な個性に振りまわされて呑みこまれてしまいかねない。技法というものに正解も終わりもないのだろう。あるのはそれぞれが磨き上げた結果だけである。福岡は、その平穏な作品とはうらはらに、先人との戦いを続けてきた画家でもあるのだ。
福岡は今もなお技法に対する憧れをもち続け、その探求に余念がない。その過程を振り返れば、この画家の熟成は、未だはじまったばかりなのかもしれない。
福岡の絵が、今また見るものの気持ちをゆっくりと振子のように静かに揺らしはじめる。

            岸野裕人・きしのひろと/倉敷市立美術館長



2008年12月8日(月) - 18日(木)

(平日 10:00 - 19:00  土曜 18:00まで  日曜 11:00 - 17:00 )

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